お尻たたきのイメージと現実

普段は「厳しくお尻を叩かれたい」と思いながら、実際に厳しくお尻を叩かれると「お尻たたきの苦痛」に耐えきれず負けてしまう。本当の(肉体的)限界に達する前に、我慢できなくなってしまう。

普段の願望が、「現実」になった途端に耐えきれない苦痛になるのは、私の「厳しいお尻たたき」経験が少ないことが一番の原因なのでしょう。また、実際の経験が少ないが故に「イメージと現実の差」が大きいのかもしれません。

お尻たたきに耐える状況が好き

私の場合はまず厳しいスパンキング/鞭打ちに耐え続ける「イメージ」に、惹かれる面が強い気がします。スパンキング/鞭打ちによる苦痛そのものというより、「厳しいお尻たたきに耐える状況」により強く惹かれているわけです。

ですから、お尻たたきが「現実」に近づくほど不安になります。

パートナー募集記事を書く時はイメージ先行で「厳しくお尻を叩いてください」などと書くことが多いですが、実際に連絡を取り合って「具体的にお尻たたきを受けるための準備」が始まると、不安が先行するようになります。

厳しく叩いてください、というより「この道具ではあまり叩かないでください」「重いパドルや鞭にはあまり耐えられないかもしれません」といった「不安点の確認」が多くなるんですよね。お尻たたきが現実に近づく(心理的な距離感が縮まる)ほど、「厳しいお尻たたき願望」が不安で覆い隠されていく感じでしょうか。

苦痛に対する耐性・覚悟のようなものがあれば、お尻を叩かれる状況に浸りきって「現実の苦痛」に勝つ(またはその苦痛にも浸る)ことができるのかもしれません。ただ、私はあまりスパンキング経験を積んでいないこともあって、そうした現実に対する自信があまりないのだと思います。

これから経験を積んで行けば厳しいお尻たたきの苦痛に耐えられるように、お尻の限界まで「お尻を叩かれる」状況に浸れるようになるのでしょうか。もしかすると厳しい調教を受けるようになれば、私の持つ空想的なイメージなど「現実」によってすぐに叩き壊されるのかもしれませんね。

厳しいパドルのお尻たたき

お尻たたき願望を叩き壊すほどお尻を叩かれたい

体罰/調教パートナーの方と長期的にお付き合いできるようになって「月に二回、定期的に出頭してお尻を徹底的に懲らしめられないといけない」状況になったら、私はどう思うのでしょう。普段からもう行きたくない、「お尻を叩かれるのは嫌だ」と思うようになるのかもしれません。

ただ、そうした「お尻を叩かれるのが本当に嫌になるくらいお尻を叩かれ続けないといけない」状況に憧れを抱いてもいるんですよね。懲罰的なお尻たたきが終わったり少し中断したりしたら、すぐにまた「徹底的にお尻を叩かれたい」と思うようになるのかもしれません。

私のお尻たたき願望は、どこまで現実に耐えられるのか。試してみたい気もします。