体罰としてのお尻たたき願望

プロフィールでも書いたように、私は「お尻たたき体罰のある生活」に一種の憧れを持っています。

何かルールを破ると、「罰として」厳しくお尻を叩かれる、お尻を叩かれずにすむよう常に注意していないといけない。さらに、何かあるたびに新しいルール、「お尻を叩かれる約束」を次々に作られていく。

そんな体罰の圧力というか、緊張感の中で生活してみたい、と思うのです。

お尻たたきの実体験(スパンキング・プレイ)

考えてみれば、私はこれまで「お尻を叩かれないといけない」状況に追い込まれたことは(子供の頃の体罰もどきを除き)ありません。何度かネットで知り合った方にお尻を叩かれることもありましたが、いずれも体罰としてではなく一種のスパキング/鞭打ちプレイとして、「こちらからお願い」して「いつでもやめてもらえる」形で叩かれる感じでした。

もちろん、お尻を叩かれている間、特にパドル打ちはそれなりに「痛い」わけですが、それでも「いざとなったらこちらから止められる」安心感のようなものがあるわけです。

お尻を痛めつけて後悔/反省させる体罰(懲らしめ)ではなく、あくまでプレイ、叩かれたいだけ叩かれその状況を楽しむために叩かれる。こちらから「制御」できる状況というか、あくまでも「望む範囲」でのスパンキングだったんですよね。

継続的にお会いするパートナー関係の方がいれば、ある種のルールや管理の下で「ルールに従わなかった罰」「躾」としてお尻を叩かれて懲らしめられることもあるのかもしれませんが、そのようなパートナーの方もいませんでしたし。

お尻たたき体罰で懲らしめられ管理されたい

そのため、私自身の制御、意志の範囲を超えて「これ以上は叩かれたくないのに、お尻を差し出して叩かれないといけない」という「お尻を懲らしめられる」状況に、憧れるわけです。

何かあれば、私を罰する「権限」を持つ方に命令されて日常の「我慢の限界」を超えるほどのお尻たたきを「受けないといけない」。厳しい体罰を背景に、パートナーの方に管理される。そんな生活をしてみたい、と。

いつ終わるかもわからない厳しい体罰による耐えがたい苦痛が続く中で、声を上げることも許されない。できることと言えば、さらに痛めつけられ懲らしめられるために、黙って抵抗せずにお尻を差し出し続けることのみ。そんな体罰を、「現実」の可能性として意識させられるような状況に憧れます。

もちろん、厳しく懲らしめられるといっても、お尻を本格的に「壊す」ほどの「肉体的な限界」を超えるのは、だめですが。

・・・などと実際には「お尻を懲らしめられる」可能性がない状況でお気楽に書いていますが、現実にそんな状況になったら、一刻も早く脱したいと願うかもしれませんね。そうなればそれこそ、「お尻を懲らしめられる状況に陥ったことを後悔させる」体罰の「効果」でもあるのでしょうけど。